人家付近で繁殖する留鳥または漂鳥。
私たちに最もなじみの深い鳥のひとつで、バードウォッチングをする時、他の小鳥と比べる物差し鳥とみなされている。
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確率 | 0.9 | 1 | 0.9 | 0.9 | 0.7 | 0.9 | 0.9 | 0.9 | 0.8 | 0.9 | 0.9 | 1 |
抜け雀
知恩院の大方丈、菊の間の襖絵は『抜け雀』として知られています。狩野信政が紅白の菊の上に数羽の雀がとまっている様子を描いたものですが、あまりにもリアルであったために命を得て飛び去り、絵から消えたと言い伝えられています。
その『抜け雀』を理想として追い求めたのが、京都出身の画家・竹内栖鳳。数多くの雀図(右は『喜雀図』部分図)を描いていますが、「画面から飛び出てしまうほど写実的なスズメを描きたい」という思いに駆られていたようです。
ちなみに、『抜け雀』は落語にもなっています。ある男が旅館代の代わりに、襖に雀の絵を描きます。その雀が朝になると襖から飛び出して外で遊び、夕方になると戻って絵に収まる。それが評判になって旅館は大繁盛するうえに、お殿様が雀の絵を大金で買い上げようとするお話。
おそらく、知恩院の『抜け雀』にヒントを得て創作されたのでしょう。上方では3代目桂米朝の演目の一つです。
毛沢東を辞任させたスズメ
スズメは実った稲をついばむので害鳥と思われています。中国でも同様で、1955年、中国政府はネズミ、ハエ、カとともにスズメを「四害」に指定し、大規模な撲滅運動を展開しました。その結果、年間11億羽ものスズメが駆除されたそうです。
ところが、1960年にはスズメを四害から除外します。理由は、スズメの激減によって虫による農作物の被害が甚大になったから。
スズメは稲だけでなく、子育て期にはタンパク質豊富な虫を食べます。そのスズメがいなくなれば、農地は虫の天国。稲だけでなく野菜など他の農作物に被害が拡大したため、スズメを四害から除外したわけです。
この「四害撲滅運動」は毛沢東が進めた「大躍進政策」の一環として行われたのですが、他の農業政策の失敗もあって、2000万人以上の国民が餓死したといわれています。
毛沢東はこの失敗の責任をとって国家主席を辞任。第2代主席となった劉少奇は、大躍進政策を「三分の天災、七分の人災」と分析し、失敗を認めています。スズメが大量に死ぬと、人間が餓死するという恐ろしい結末に至るわけです。