中西悟堂、北原白秋、柳田國男、金田一春彦らが発起人となって「日本野鳥之会」を創立。国内初の探鳥会を富士山麓で開催するとともに、『野鳥』誌を創刊。
1月19日、京都日出新聞(現・京都新聞)において「野鳥の会講演会」が開催された(左はその案内広告)。その席上、全国初の支部として関西支部(京都支部の前身)の結成が決定された。この会には、当時の鳥類学会の重鎮である内田清之助、公爵・鷹司信輔、『広辞苑』の編纂者・新村出、日本民俗学を確立した柳田国男、日本野鳥の会会長・中西悟堂、動物学者であり後に初代京都支部長となる川村多実二が登壇し、会場には京都電灯社長、都ホテル常務など地元の財界人、画家の上村松篁など錚々たるメンバーが参集した。
その後、関西支部はエリアが広すぎるため、京都支部と阪神支部(大阪支部の前身)に分かれて発足。京都支部は川村支部長はじめ10余名の会員でスタートした。
戦時体制の中でも活動を継続。当時の会費は年間6円であった。
太平洋戦争に突入した12月8日、真珠湾攻撃のニュースが報じられる中、大津~堅田~安曇川で探鳥会が開催された。「都会では米の配給が乏しく、岬近くの旅館の昼食で、真っ白の銀めしを腹一杯食べたことをありありと思い出します」(当時の会員の手記)。
「鳥類保護連絡協議会」(後の「日本鳥類保護連盟」)が発足。
「新狩猟法」が制定され、カスミ網による狩猟が禁止される。
国が愛玩飼養許可をメジロ、ホオジロ、ウソ、マヒワ、ヒバリ、ウグイス、ヤマガラに限定。
12月、「日本野鳥の会京都支部」を母体として「京都野鳥の会」が発足。川村多実二が名誉会長に、橋本英一が初代会長に就任。
当時の京都支部は「京都野鳥の会」の中にあるもう一つの組織という存在であったが、この年「日本野鳥の会京都支部」として活動を再開。伏原春男が京都支部長に就任した。
当時の「京都野鳥の会」会則には「本会は「京都野鳥の会」と称し「日本野鳥の会京都支部」を兼ねる」とある。
「日本野鳥の会」が野鳥保護の立法化に尽力し、「狩猟法」が「鳥獣保護法」に改正される。
初代支部長・川村多実二が逝去。
「第13回日本野鳥の会全国大会」が京都で開催され、京都支部が運営に協力。
「日本野鳥の会」内部に「カスミ網対策運動本部」が設置される。
「日本野鳥の会」が財団法人となる。
「ラムサール条約」採択(1975年発効)。
「WWFジャパン」発足。
「全国自然保護連合」設立。
「自然環境保全法」施行。
「特殊鳥類法」施行。
「日米渡り鳥保護条約」調印(1974年発効)。
「ワシントン条約」採択(1975年発効)。
「日ソ渡り鳥保護条約」調印(1988年発効)。
「日豪渡り鳥保護条約」調印(1981年発効)。
環境庁委託「全国野鳥繁殖地調査」が始まる。
環境庁が愛玩飼養許可をメジロ、ホオジロ、ウソ、マヒワに限定。
「日本野鳥の会」の第1号サンクチュアリーが北海道ウトナイ湖にオープン。当支部も募金活動などに協力。
沖縄でヤンバルクイナが発見される。
「日中渡り鳥保護条約」調印・発効。
「第1回ガンカモハクチョウ類全国一斉調査」を実施。
元支部長・伏原春男が逝去。
田淵章が支部長に就任。
労働者総合会館において「バードウォッチングフェスティバル」を開催。
(財)日本野鳥の会名誉会長・中西悟堂が逝去。
東京で「第3回東アジア鳥類保護会議」開催。
関道浤が支部長に就任。
保護部を設置。
バードソンにオープンチームとして参加。
府立植物園での「自然と環境展」にパネル出展。
労働者総合会館において「バードウォッチングフェスティバル」を開催。
バードソンに京都方式で10チームが参加。
環境庁が「レッドデータブック」を取りまとめる。
野鳥の愛玩飼養に飼養許可証と足環装着が義務付けられる。
丹後半島沖で貨物船が座礁して重油が流出したため、2月に海鳥被害調査を実施。
鳥居道治が支部長に就任。
堺町画廊で「バードフェスタ」を開催。
バードソンに参加。93種で全国1位。
(財)日本野鳥の会会長に黒田長久が就任。
京都市主催「町衆文化フェスティバル」に初参加、以後2001年の最終回まで毎年参加。
「環境フェスティバル」に出展。
バードソンに公式チームとして参加。82種で総合7位。
国会でカスミ網の使用・所持・販売禁止の法案が可決。
八木昭が支部長に就任。
京都で開催された「ワシントン条約締約国会議」に傍聴参加。世界の鳥学者を支部の探鳥会に案内する。
バードソンに女性チームで参加。85種で5位。
「全国野鳥密猟対策連絡会(密対連)」が発足し、京都支部が事務局を担う。同時に、全国一斉野鳥販売実態調査を実施。
京都府が第7次鳥獣保護事業計画を策定。
「生物多様性条約」採択(1993年発効)。
バードソンに公式チームとして参加。95種で総合6位。
京都府が密猟防止を目的に、警察と当支部との合同パトロールを初めて実施。
岩本富雄が支部長に就任。
バードソンに公式チームとして参加。75種で10位。
第1回七夕会議(後の鳥獣保護セミナー)が開催される。以降毎年テーマを変えて開催し、2009年(第15回)で終了した。
バードソンに公式チームとして参加。59種で26位。
年間出現鳥種当てクイズ「京都ミレニアムバード」を実施。
事務所を右京区嵯峨柳田町から右京区常盤御池町に移転。
滋賀県・伊庭内湖ボート競技場建設反対運動を展開。
中国から輸入されていた約10万羽の野鳥の輸入がストップされる。
田淵章が支部長に就任。
伊庭内湖ボート競技場建設計画が撤回される。
(財)日本野鳥の会会長に小杉隆が就任。
環境庁が環境省に昇格。
京都府から受託した「カワウの飛来調査」を実施。
桂川清掃探鳥会を開始、2008年より淀川水系の淀川流域河川レンジャーによる「桂川クリーン大作戦」に発展。
国土交通省から受託した「河川水辺の国勢調査」(鳥類)を実施。
京都御苑で「第1回京都バードフェスタ」を開催。翌年も実施した。
京都府はウズラに続いてヤマシギを狩猟対象から外し捕獲禁止を決めた。
丹波町で発生した高病原性鳥インフルエンザに関し、当支部はカラスのねぐら調査などに協力。
京都府から受託した「カワウの採食活動調査」を実施。
花背山の家で開催された「自然大好きフェステイバル」に出展。以降、現在も継続。
元顧問・佐藤盤根が逝去。
(財)日本野鳥の会会長に柳生博が就任。
研究部長・船瀬茂信が、多年にわたって自然環境保全に貢献したとして京都府知事より表彰される。
当支部より滋賀支部が分離・独立。
国土交通省から新方式による淀川水系の「河川水辺の国勢調査」(鳥類)を受託。
副支部長・中村桂子が、多年にわたって自然環境保全に貢献したとして京都市長および京都府知事より表彰される。
澤島哲郎が支部長に就任。
副支部長・中村桂子が、野生生物保護功労者として環境省自然環境局長賞を受賞。
事務局を設置。
6月、ブログ「京都鳥日和」を開設。
当支部主管で「日本野鳥の会近畿ブロック会議」を開催。
京都府が第10次鳥獣保護事業計画を策定。
環境省が愛玩飼養許可をメジロ1世帯1羽に限定。
総務部を廃止し、業務を事務局と広報部に移管。
『そんぐぽすと』150号よりサイズをB5からA4に変更し、文字も大きくした。
メーリングリストをリニューアル。
東日本大震災に際し、本部を通じて東北3県の支部へ義捐金10万円を寄附。
公益法人制度に関する内閣府の方針転換により「日本野鳥の会京都支部」に名称復帰。
公益法人制度改革に伴い「日本野鳥の会」(本部)が公益財団法人となる。
環境省が愛玩飼養目的の野鳥の捕獲を原則禁止とする。
石川順一が支部長に就任。
京都府レッドデータブックの見直しに関して意見を提出し、一部が採用される。
府立植物園で開催された京都府主催「あすkyoフェスタ」に出展。
京都府が第11次鳥獣保護事業計画を策定し、全国的に最後まで残されていたメジロの愛玩飼養制度の廃止を決めた。
「日本鳥類目録」改定第7版でDNA分析が採用され分類が大幅に変更される。
4月、ホームページをリニューアル。
7月7日、中西悟堂協会と共催で「第20回中西悟堂事跡の旅in比叡山&日本野鳥の会京都支部創立77周年記念イベント」を開催。早朝探鳥会と中西悟堂学習交流会を実施。
この学習交流会の中で、石川支部長は当支部の歴史を以下のように振り返りました(抜粋)。
京都支部は創立以来77年を迎えましたが、大きく分けて3回の節目を迎えています。最初の節目は、第2次世界大戦です。次は、戦後復員した会員を母体に結成した「京都野鳥の会」の中での活動期でした。
そして、全国の野鳥の会会員との連携のもとでの活動を模索する中で、1983年京都支部の分離独立を果たし、今日に至っています。
(中略)
1982年12月、京都支部長、伏原春男氏が逝去されました。伏原支部長の逝去は、京都野鳥の会の中の一面である京都支部会員にとって大きな危機感を持って捉えられたようです。それに先立つ10月、大阪で近畿野鳥連絡協議会が開催され、「京都支部が京都野鳥の会から離脱独立しなければ、近畿地区をブロックとした全国規模の活動に立ち遅れる」という危機感が当時の若手会員の中にありました。
翌1983年3月、京都支部総会を開催し、京都野鳥の会から分離独立しました。この総会に60名が出席し、支部入会希望者は180名に達したようです。この危機感がどのようなものであったのか、京都支部報『そんぐぽすと』創刊号に掲載された新幹事の抱負に表れています。 「ただ鳥を眺めるだけではなく、何か行動を行うための手伝いをしたい」「鳥を見ることから知ることへ、そして彼らの生きていける自然を皆様とともに考えたい」「自然保護に関心を高めましょう」「行政と社会に、力と責任のある京都支部に成長させたい」「あたりまえの自然が私たちの生活の場から遠のいています。身近な動植物を観察し、その生活の仕組みを大切にしたい」と示されています。
支部長に選出された人見松美氏は、あいさつで「日本野鳥の会京都支部の伝統と歴史を守り、全国の支部の人たちとの交流を深め、本会の目的に沿った活動を行うべく…」と述べています。
分離独立後の京都支部は、趣味の会から自然保護団体への転換を押し進め、今日に繋いでいます。
7月 京都府よりヌートリア調査を受託。
8月 京都府レッドリストが11年ぶりに改訂され、チョウゲンボウ、コウノトリ、マミジロの3種が絶滅危惧種にランクアップ。
9月 この頃から会員拡大と財政改善を目的とした「支部改革」に取り組む。
10月 鳥談会(室内例会)が始まる。2015年10月以降はBirder’s Caféと改題して継続。
12月 会員拡大を目的とした一般対象の「初めてのバードウオッチング(岡崎)」を開始。
1月 亀岡スタジアム建設計画に対して、本部と連名で府と市に要望書を提出。その後、2016年4月に本部など56団体で意見書をまとめて環境省と文科省に提出。4月末、府の環境専門家会議が予定地を変更するよう提言。アユモドキなど貴重な生物の生息地が守られることになった。
1月 公式フェイスブックを開設。
1月 お試し会員制度(1,000円で半年間会員)をスタート。
3月 「親子でとりみ隊」始まる。以後、ガールズ探鳥会(4月)、スチューデント探鳥会(2015年5月)、ヤング探鳥会(2016年2月)など新しいタイプの探鳥会を試行。
8月 ゼスト御池のイベント「ゼスト寺子屋」に出展。
8月 クロガモを狩猟対象から除外するよう京都府に要望。その結果、9月30日の環境審議会でクロガモが狩猟対象から除外された。
10月 京都新聞の連載コラム「野鳥~京都の四季~」(毎週掲載)が始まり、記事・写真を支部が担当。第28回より携帯端末向けの動画も制作した。翌年9月に終了(全47回)。当サイトに掲載。
1月 1936年1月19日に設立された当支部が創立80周年を迎える。
1月 創立80周年記念の会費割引キャンペーン(学生2000円OFF、一般1,000円OFF)がスタート。
3月 綾部市の天文館パオとの共催でベントを実施。
4月 調査保護部を調査部と保護部に分離。
4月 南山城村メガソーラー建設問題に対応し、4カ月間に計10回の現地調査を実施。
6月 『そんぐぽすと』が創刊200号を迎える。
8月 創立80周年記念事業として『Birds of Kyoto 京都府鳥類目録2016』を発刊。
8月 からすま京都ホテルで創立80周年記念祝賀会を開催。来賓11名をはじめ約60名が参集した。
9月 (公財)京都地域創造基金「母なる川・保津川基金」の助成を受け、約20年間の調査データをまとめた『桂川の野鳥』を発刊。全データを当サイトに掲載。
10月 『そんぐぽすと』を202号よりオールカラーとした。
12月 会員の例会参加費(100円)を無料化。